平成12年8月
(平成12年10月15日発行 社内報より)

創立40周年記念 社長挨拶


株式会社ベルクス
  代表取締役 佐藤 務

 8月の総合朝礼でも話をさせて頂きましたが、40周年を迎えるにあたり、30周年の時のような派手な記念行事は控え、この度は質素で実のあるものにしますと申し上げました。
振り返ってみれば10年前、当時の日本の経済は絶頂期にありました。
昭和天皇が逝去され、元号が改まった平成元年の12月には、東証株価38,915円と史上最高値を記録しました。
明けて平成2年の(1990年)今から丁度10年前には、不動産向け融資の総量規制が4月から始まりました。そして10月には株価が2万円割れとなり、バブル崩壊が始まりました。
まだ、一般にはそのような現実が押し寄せていることに気づいていない時期でした。そのような時に私達の会社は30周年を迎える準備をしていました。記念誌を発行し、社名を変更し、取引先様には挨拶廻りをしました。
記念式典には、お客様をお招きして祝辞も頂きました。
引き続いて夜の納涼祭には社員の家族はもちろん、ご近所の方達も参加して頂き、花火も上げました。
それは、30周年という節目に感謝をし、新たな目標に向かって頑張るぞという会社をあげてのお祭りでした。
今にして思えば、私達の会社も世間並みにバブルの最中にあったのかもしれません。
その後は皆さんがご承知のように、浮かれたバブル経済のツケは、ボディブローのように利いて長い不況の中からなかなか立ち上がれないでいます。

 日産座間工場の閉鎖に始まったリストラは、日産ばかりでなく、世界的な自動車業界再編の嵐となり、余波は大幅なコストダウン要求となって私達始め業界全体に吹き荒れました。
その後、証券、銀行、生保等の破綻は枚挙に暇がありません。
今後もまだまだ続くのでしょうか、何とか食い止めたいものです。
それとも落ちるところまで落ちないと、立ち上がれないのでしょうか。
早く皆で気がついて考えを変え、失速しないうちに立ち上がらなければなりません。

 30周年から10年、私達にとっても厳しい試練の10年でしたが、これからも続くことでしょう。ベルクスの経営指標を見ても大きく変わりました。
私達製造業にとって重要な設備投資も1990年には3億5千万円、厚生棟建設費1億6千万を差し引いても、2億近い設備投資を行いました。もちろん、生産性向上と技術革新のための設備投資でした。目標通り生産性を高め、コストを下げ、品質を向上させました。
 減価償却費は毎年8千万円、リース料は7千万円を超え、合わせると売上の1割を超えていました。
そんな時ある主要なお客様から、現在の3倍の発注をするから対応するようにとの要請がありました。
大変嬉しい話ですが現在でも精一杯の背伸びした経営をしているのに、これ以上の資金力、場所、特に人の問題があります。物は頭数さえ揃えば出来るというものではありません。
技術は長い年月をかけて培われるもので、急ごしらえではものになりません。
特に近年の品質要求を満足させることは不可能です。誠に力不足で申し訳ありません。と丁寧にお断りしたのです。
すると、折角仕事を出すと言っているのに断るとは何事だと言われました。
それから1年後、その関係の仕事は3倍どころか半分以下に減りました。

 今期の設備投資金額は、5千万円です。
10年前の7分の1です。リースは現在殆どありません。結果的には経費の削減に大いに貢献し、赤字を出さずに済んでいると言っても過言では有りません。
 私達の会社も、大きく体質を変えて現在があります。様変わりする経済情勢、全ての業界が再編の嵐の中で、変わることこそ生きるすべなのです。QCからTPMに変わったことも、タイムリーな変化でした。TPMのトータルスローガンに
「人を変え、設備を変え、企業を変えて・・・」とありましたが、正にその通りだと思います。40周年を機に新しい道を考え、物事を長く続けるためにも変わっていかなければなりません。この先、50年、100年と会社が成長発展をするためにも大変重要で大切なことです。

 結びになりますが、変えなければならないことと、変えてはならないことがあります。
それは、40年間培ってきた企業理念と社風です。
これに更に磨きをかけ、苦労も喜びも共に分かち合い、明るく、元気に、安心して働ける会社にしたいと考えています。これからも、よろしくお願い申し上げます。