平成28年8月1日午前8時より
於:厚生棟大会議室
創立記念朝礼
ー56年の歴史に学ぶ、転んでもただでは起きない話ー
株式会社ベルクス
代表取締役会長 佐藤 務
今日は創立56周年記念朝礼です。今日の話しの流れとしては、
「世界的大事件を通して見た会社の56年」という内容になりますが、聞いて下さい。
私達の会社の創立記念日は8月1日としています。今日はその8月1日なんです。
月初の朝礼は第1週の月曜日なので、創立記念日と第1週月曜日が重なる年はなかなかありません。
前回8月1日が月曜日だった年は、平成23年、今から5年前、
東日本大震災が起こった年でした。
更にはその3年前の平成20年の9月15日には、アメリカの名門投資銀行であるリーマンブラザーズが破綻しました。
外国では数少ない150年以上の歴史を持った老舗名門企業なのです。
同時にゴールドマンサックス、モルガンスタンレー、メリルリンチ、ベアースターンズというアメリカが誇る5大証券投資銀行が破産して、世界同時不況が起こりました。これがリーマンショックです。
私達の会社の仕事も激減しました。
平成20年8月の決算では、売上高で21億6千万でしたが、リーマンショックが起きた次の年度では、14億1千万と約35%減となって赤字も6,300万となり、昭和48年の石油ショックの時以来2度目の赤字決算となりました。
今から8年前の出来事ですが、社員の皆さんには大変な苦労をかけました。
そして多大な協力もしていただきました。
危機管理の数々を打ち出し、それを実行に移して行く中で、社員の皆さんが嫌な顔ひとつ見せず、むしろ明るい顔で協力してくれたことを、私は今でも鮮明に覚えています。そして心強く感じました。
皆んなで協力して大きな試練を乗り切ったのです。
大きな赤字を出してしまいましたが、それを最少に押さえることが出来たと考えています。
多くの企業がリストラを行なう中、私達の会社はそれをせずに、そういった犠牲者を出さずに困難を乗り越えたことは私達の自信に繋がりました。
そして取引先の信用強化にもなったと思います。
今改めてあの時の皆さんの協力に感謝致します。有難うございました。
どうしてそんなことが出来たのか考えてみましょう。
私が思うには、結論から云いますと、皆んなが経営方針、経営理念を信頼していたからだと思います。長い時間を掛けて、単に看板だけでなく、それを実践して来たからこそ、信頼が生まれたのです。
無意識の内に経営方針の理念のもとに皆んなが力を合わせたのです。
そうでしょう!皆さん。
QCサークルではないですが、なぜなぜを繰り返してみると、私はどうしてもそこに行きつくように思います。
人はそれぞれに信念に基づいて行動します。
例えば選挙になれば、誰に投票するかは個人の信念に基づいて候補者を選びます。
しかし会社の仕事をする時は、個々の信念は異なれど、社員全体が、会社の理念の下に力を合わせて進むことが重要なのです。
今日は創立記念日なのでお話ししますが、個人経営から会社とするにあたって、約1年近く掛けて考え生まれた、会社としての旗印、「経営方針」経営の理念なのです。
先程2度目の赤字決算といいましたが、最初の赤字決算を出した、
昭和48年の時はどうであったかお話ししますと、その時も仕事が激減し、
売上が社員の給料にも足りない位となりました。
品質要求も急に厳しくなり仕事も少ないのに返品が多くなりました。
仕事のない人は草取りなどしていたのですが、取る草もなくなりました。
私は実行するつもりはなかったのですが、ハッパを掛けました。
今後は不良率に応じた給与の減額をすると云ったのです。
すると1/3ぐらいの人が会社を辞めると云ってきたのです。
私は去る者は追わずと引きとめませんでした。
それからも一人去り、二人去りとなって、とうとう社員は半数近くになりました。
そうして当時は東京大森にあった創業以来の本社工場をたたんで、
静岡、小笠の工場に集約することになったのです。
又当時は高度経済成長の波に乗って、福島市内の小さな鉄工所を買い取り、
形ばかりのトキワ工業(弊社旧社名)福島工場を作ったのですが、2年足らずで撤退することにしました。
その後その工場を売却したのですが、良い買い手が現れて、
買った時の倍近くで処分することが出来て、大いに助かりました。
石油ショックによる狂乱物価で、地価や物価の急上昇したことによる、不幸中の幸いでした。
その時の総理大臣は田中角栄です。
もちろんそのお金は赤字の埋め合わせで、右から左へと消えてしまいました。
今から43年前の話しです。
それでも創業から13年という時なんですが、「経営方針」がまだ浸透していなかったのですね。今はグローバル一色の時代ですが、当時は田中角栄さんの日本列島改造論の時代で、今でもそうですが、東京一極集中から、特に工場は地方へ分散を図る時代でもあったのです。
そんな中で私達の会社も、東京大森でスタートして静岡、福島と3か所に工場があったのです。夢は大きかったのですが、世の中は思うようにはいきません。
第1次オイルショック(昭和48年)に続く第2次オイルショック(昭和54年)、
そのわずか2年前にはドルショック(昭和46年)というのがありました。
そういう中で選択と集中をせざるを得ず、結果静岡工場に一本化して現在に至る訳です。
そんな時私が読んでいた本の中に、湯川秀樹博士の「逆転の発想」というのがありました。皆さんご承知の通り、湯川博士は理論物理学の世界でノーベル賞を取った日本人で最初の人です。
この本の題名から取った、「逆転」が年度テーマの始まりなのです。
このテーマの下で、皆で頑張って翌年の決算は見事、赤字から黒字へと逆転することが出来たのです。これが年度テーマのルーツです。
以来二文字の年度テーマは20を数え、去年に続く今年の「知新」となっているのです。転んでもただでは起きない石油ショックの副産物なのです。
社員の中で当時の事を知っている人は数少なくなりました。
何しろ43年前現役で、今残っている人は、M,S,Iと山下正秀君くらいかな。
M,S,Iとは宮下、笹本、今坂君のことです。
山下君が22才、M,S,Iが27,8才の頃の話しです。
そして冒頭話したリーマンショック(平成20年)となるのです。
どうも私達の会社は、ショックに弱いのかなとも思いますが、
どうしてそんなことはありません。
リーマンショックではショックアブソーバーが付いたのです。
しかもダンパー付きです。衝撃を吸収して尚且つブレないのです。
5年前の創立記念朝礼の中で私は、コーチングの話しをしましたね。
私が聞いた講演は「社員を活かすコーチング」という演題でしたが、
なるほどと思うところが沢山あって、会社の経営にも通じる話しでした。
野球の世界では、管理野球とも云われ、コーチや監督の指示を受けて選手はバッターボックスに立つのですが、サッカーやラグビーでは、そんな指示を受け取るヒマはありません。指示待ち人間では試合に勝てません。血の出るような練習を重ねて臨機応変の動きを、頭ではなく体で覚えなければ勝てません。
これからの経営も同じ事で、目標達成に向けて自ら考え、自ら決めたことは即実行に移す、指示待ち人間では、駄目であり、更なる厳しい時代に会社として勝ち残るには、サッカー選手のような社員を育てる必要があるという話しでした。
56年の会社の歴史の中には、数々の試練がありました。これからもあります。
良い事もありますが、何故か試練の時の方が、思い出として残るものです。
この56年の間に起った、主な試練について話しましたが、それがドルショックから第一次石油ショック、第二次石油ショックという一連の不況、そしてボディブローのように長く続いたバブル崩壊から、リーマンショックに至る経済的不況、そして5年前に起った東日本大震災は天災なんですが、福島原発の大事故は、科学技術を過信したことによる人災とも云えます。
今もなお故郷に帰りたくても帰れないで避難生活をしている人々が多数いるのです。
東日本大震災の時には想定外という言葉が使われましたが、
確かにそういう言葉が使われるぐらいの大災害であったのですが、批判もありました。
高々56年の会社の歴史を振り返って見ても、今話している世界的大事件が、
5回も起こっているのです。もちろん悪い事ばかりではないのですが、
個々の人生においても同じです。上り坂もあれば下り坂もあります。
そして、まさかという坂もあるのです。
歴史を学ぶことによって、現在や未来に生かすことが出来るのです。
歴史は過去の学問ではなく、未来学ともいえます。
数々の試練をみんなで力を合わせて乗り越えることで、
私達の会社の力量UPに繋がるのです。
私が最近気になることは、本来実力が備わっているはずの老舗企業がなくなってしまうということなんです。
冒頭のリーマンは論外としても、シャープも100年を超える、日本の名門企業です。
それが台湾企業に買収されてしまいました。
日本企業に買収されるならまだ赦せるのですが、その業界における東芝、
パナソニック、ソニーと云った、日本が世界に誇る名門企業も又、青息吐息なのです。
大分前の話しになりますが、日産自動車もフランスのルノーに買収されてしまいましたね。ニッサンの車を買っても、利益は皆フランスのものです。
その日産に三菱自動車も買収されてしまうという事は、日本人としては非常に悲しむべきことです。
そればかりか私が東京板橋で見た、創業70年を超える中小企業のプレス屋さんが廃業してしまったのです。
この会社の技術は、残された部品や金型を見れば歴然としています。
光学系の部品メーカーでした。私は何故この様な優秀な技術を持った会社が廃業の道を選んだのか分からずじまいでしたが、考えさせられる出来事でした。
歴史に学ぶことを忘れてしまったのでしょうか。
次は話題を変えます。
30年近く前の話しになりますが、佐藤専務がまだ高校生だった頃の話しです。
私の家に遊びに来た何人かの高校生に向かって云いました。
君達”規則は破るためにある”という事を知ってるか?と聞いたのです。
するとどうでしょう。彼らは目を輝かせて、え!本当ですかと聞き返してきたのです。校則に縛られて窮屈な思いでいる彼らにとって大変興味深い話題です。
もちろん私は、何でも規則を破って良いと云う考えではなく、敢えてセンセーショナルな話題を持ちかけて、気を引いたのです。そして私は云いました。
規則は原則として守らなくてはならないが、中には君達にとっては、理不尽な規則も多々あるだろう。それは君達を子供と見なして、親心から出たものなんだよ、守れないルールは君達が成長して、心から守れるルールに作り替えて行く必要があるんだよ、と説明をしました。
なあんだそうかと、トーンダウンしましたが、納得したようです。
更に付け加えたことは、君達は若いのだから、そのくらいの覇気がなくては駄目だということです。
又最近気になることは、管理社会の中でルール違反が多発しています。
ドイツのフォルクスワーゲンの排ガス規制違反、三菱自動車、スズキ自動車の燃費改ざん問題、更には政治資金の私的流用問題、パナマ文書に見る課税逃れ問題等、キリがないぐらい問題だらけです。これらは糾弾されてしかるべきです。
しかしながら思うには、図に乗って些細なルール違反にまで揚げ足を取って、相手を責めるのは卑怯なやり方です。政治やマスコミの世界で多く見られる現象ですが、管理社会がもたらす、弊害と云えます。
そもそも「管理」とは、責任を持って取り締まり、面倒を見ることです。
会社の中でも上司が責任も取らずに、些細なミスでも取り締まりばかりキツくて、面倒も見ないのでは部下は、心からついてきません。
部下の成長を心から喜び、自分の成功を部下に譲り、部下の失敗を自分の責任と考える人が本物の管理者といえるのです。それが出来ない人は単なるパワハラ管理者なんですが、ウチの会社にはいないですよね!
さて7月10日の参議院選挙も終わり、与党も議席を増やしました。
いよいよ憲法改正に向けた3分の2を超える議席を確保することが出来たのです。
守ることも難しい変なルールを根本的に作り直すチャンスなのです。
イチャモンをつけて憲法改正に反対する輩も多いのですが、大体そういう人達は平和ボケのゆでガエルなのです。このチャンスを生かすことができなくて、改正すら見送るような事になったら、だれが一番喜ぶと思いますか?
それはすぐ隣の国、チャイナ、コリアと北朝鮮なんです。ロシアも同じだと思います。これらの国と敵対することが目的ではないのです。
あくまで平和を大切に、自分の国は自分で守るという、
あたり前の事が出来るようなルールに変更するだけなんです。
そんなことも出来ないような国は、一人前の主権国家とは云えません。
ようく考えてみましょう。
次に会社の近況についてお話ししますと、技術部門のオークは順調な成績を上げていますが、本体のベルクスは残念なことに、まだ確定はしていませんが、この8月決算予測では、4期連続のマイナス成長となります。
4年前の売上額が20億6千万に対して、
今年は15億円代と、約25%ダウンの見込みです。
それでも赤字にはなりませんが、当然利益も多くは望めません。
そのような中で来期こそプラス成長を目指して、工場増設に取り掛かっています。
何故なら新しい仕事は、かさ張る仕事が多くなり、工場が手狭になるからです。
アベノミクスによる経済効果は、大企業が中心で、我々中小企業には中々廻ってはいません。いませんが、政府も中小企業に対する設備投資の促進の為、補正予算を組んでいます。
今までもそのような補助金を使って、設備投資も3件程しましたが、今回は中小企業向けの補助金割合の高い制度なんです。
1件当たりの補助金割合は今までは4分の1又は上限1千万というものでしたが、
今回は何と3分の2、上限3,000万円と大盤振る舞いです。
それだけに競争率も高く、申請件数に対して、申請が認められたのは全件数に対して30%と10件に3件の割り合いです。
そのような中でベルクス、オーク共、1件ずつ計2件の申請を駄目元で申し込んだのですが、厳しい審査を2件とも通ったのです。
最新鋭の設備が、約50%と半分の費用で導入されます。悪い事ばかりではありません。良い事もあるのです。このことは、私達の努力が認められたばかりではなく、銀行、商社、メーカーの協力がなくては成り立ちません。感謝です。
先日、取引先の商社の新任担当部長が来社されました。
この会社は長年の取引先なんですが、売上は1兆5千億円ですから、
何とベルクスの千倍もあります。
この新しい部長さんは、海外勤務も15年、海外、国内共に、
多くの工場を見てきたベテランなのです。
早速ベルクス、オークの現場を巡回した感想を話してくれました。
その内容について、皆さんにお知らせしたいと思います。
初めてのお客様は、大抵私達の会社を見て共通した印象を持たれるようです。
現場を見ることの好きな鋭い目を持った人の感想や意見は皆さんも聞いてみたいと思うでしょう。
先ず第一に皆さんの明るい挨拶に感心していました。
大変気持ちの良い思いをしたとのことです。有難うございます、と答えておきました。
次に現場がきれいで5Sが行き届いていると云っていました。
私はもっときれいな現場はいくらでもあるでしょうが、プレス屋としては、きれいな方だという意味で受け取りましょうと謙遜をしておきました。
三つ目は現場で女性が活躍している姿に驚いたようです。
そして女性でも問題なく働ける環境に配慮しなければ、できないことだとの意見でした。
最後ですが全体を見て、幅広い分野の仕事をしていて技術力も高いとの印象を受けたのと、このような管理体制であれば、どんなメーカーの仕事も直接受注することが出来るし信頼されるでしょう。
今後商社として仕事の橋渡しを考えたい、と云われました。
私はすかさず云いました。
有難い話しですが、話しだけではなく、具体的な案件をすぐにでも持ってきて下さい。有言実行です!とツッ込みを入れておきました。
そんな話しは初対面の人になかなか云えませんが、会社として長いお付合いがあるから云えることです。
概ねこんな内容でしたが、
特に目新しいことはなく大概のお客様に共通した感想でした。
こうした話しを通して私は思うのです。
これは社員の皆さんの努力の結果であり、現場の一人ひとりが営業マンとして立派に機能していて、日頃目標とする稼働するショールームに近づきつつあると思う訳です。増々磨きを掛けていきましょう。
創立記念にあたり私の思うところを話しました。
56年という歴史の中からそれなりの企業風土というものができてくるものです。
これを社風といいます。社風はそれぞれの会社毎に違いがありますが、それはキャリア(経験や経歴)によって違ってくるものだと思います。その違いはキャラクター(個性)となります。人と人とのお付き合いの中で、あいつはキャラが良くないとか云う話しも、時折耳にすることがあります。そんな風に云われないような立派な社風を作り上げ、信用を築いていきましょう。
これからもよろしくお願いします。
◆編集者より付記
株式会社ベルクス 年度テーマ変遷
昭和52年(1977) 「逆転」 発想の転換、技術指向
昭和53年(1978) 「充実」 マイナスからプラスへ
昭和54年(1979) 「挑戦」 工場移転脱皮
昭和55年(1980) 「創造」 技術と管理の両輪を廻そう
昭和56年(1981) 「学進」 学びつつ前進しよう
昭和57年(1982) 「連携」 仕事に真の価値を求め 人の質を高めよう
昭和58年(1983) 「進取」 知的能力を高め、意欲を持って厳しい時代の変化を
先取りしよう
昭和59年(1984) 「原点」 ふり返ろう原点、みつめ直そう基本
昭和60年(1985) 「原点」 中期5か年計画スタート
昭和61年(1986) 「打開」 人間日々大小万事そこには常に打開がある
昭和62年(1987) 「打開」 困難、そこには常に打開がある
昭和63年(1988) 「実践」 知識を知恵に変換して実行の年にしよう
昭和64年(1989) 「実践」 知識を基に知恵を昂めて即実践
平成 2年(1990) 「向上」 夢を語ろう、考えよう、実現しよう
平成 3年(1991) 「向上」 翔たこう 一人ひとりの無限の知恵で
平成 4年(1992) 「転機」 心機一転 夢をかたちに
平成 5年(1993) 「転機」 自助努力で生き生きと今こそ力の結集を
平成 6年(1994) 「共感」 感じあう心で築こう新たな未来
平成 7年(1995) ↓
平成 8年(1996) 「進化」 *技術をもって会社に貢献し、魅力ある企業をめざして社員一同と共に進化しよう
平成 9年(1997) ↓
平成10年(1998) 「自律」 *自らを管理し、自力で当たり前のことを着々と実行しよう
平成11年(1999) ↓
平成12年(2000) 「黎明」 個の力 技を結集し、創り上げよう自立の時代
平成13年(2001) ↓
平成14年(2002) 「伝承」 ・ものづくりの伝統と誇りを伝承
・技術力と管理力を徹底して伝承
平成15年(2003) ↓
平成16年(2004) ↓
平成17年(2005) ↓
平成18年(2006) 「知新」 伝統を活かし 誇りを持って 深めよう技術 高めよう信頼
平成19年(2007) ↓
平成20年(2008) ↓
平成21年(2009) 「先見」 自己を磨いて技術を高め 先見力を養おう
平成22年(2010) ↓
平成23年(2011) ↓
平成24年(2012) 「残心」 気概を持って 次の一歩へ 踏み出す力を備えよう
平成25年(2013) ↓
平成26年(2014) ↓
平成27年(2015) 「知行」 自ら学び考え行動し 失敗を恐れず挑戦しよう
平成28年(2016) ↓