平成28年 終礼


平成28年12月29日(木曜日)
  於:厚生棟大会議室

平成28年終礼   


株式会社ベルクス
  代表取締役会長 佐藤 務


・忘年会 いまという時

 皆さん、この1年大変お疲れ様でした。
12月に入って9日の金曜日には忘年会もありました。
いつものことですが、皆さんと共に楽しく過ごしました。
みどり会の役員の皆さんには大変お世話になりました。
ありがとうございました。
又、余興をやってくれた若い社員の皆さん、部署をこえた協調体制で、元気よく演出して盛り上げてくれました。
聞けば大分前から練習をしていたそうですね。そうした事も社内の和を保つ上で大切なことです。ご苦労様でした。

 みどり会の植田会長の挨拶にもありましたように、1年があっという間に過ぎてしまいましたね。
去年の忘年会の時は、私もよく覚えているのですが、冷たい風の吹く中、迎えのバスが中々こなくて、丁度宮下顧問の家の所で待っていたので、玄関の戸を開けて奥さんに、「酒ないか酒、あったら茶わんでいいから1杯くれ。」と言って冷や酒をあおったことを昨日の事のように覚えています。
光陰矢の如しですね。
 古い歌の文句にこんな言葉があります。
「いまという時いまはなし まの字きたればいの字すぎゆく」
正にその通りで時間は待ってはくれません。





・目標管理の成果と考え方 (マネジメントサイクル~計画・実行・評価・改善)

 1年の計は元旦にあり と言う事で、今年の初め皆さんが立てた個人目標は達成できましたか?P・D・C・Aが大事になります。
 会社の各部門の業務実施計画では、それが概ね良くできていて高得点を維持しています。TPM活動も全部署合格となりました。良く頑張ってくれました。
中にはプレッシャーを感じている人もいるかと思いますが、肩の力を抜いて実力を発揮してください。
 大分前に私は言いましたが、計画に対して90点以上の成績を出してください。
そうすれば会社の業績として結果は現れてくるんだという事を!

 今年も3月と9月の2回、つまり1年を2回に分けて半期毎の業務実施計画とTPM活動の実施状況の報告をして頂いたのですが、上期も下期も全部署90点をこえていました。
平均で95点以上でした。中には100点満点という部署もありました。
欲をかく訳ではないのですが、100点満点にはならなくても、目標に対して努力して努力して90点台になったという方が私は好きです。
何故なら意地悪な言い方かも知れませんが、目標というハードルを下げれば、楽に100点を取れますよね。
私は決して努力して100点となった部署に対して目標が低いと言っている訳ではありません。
それはそれで立派な成果なのです。疑いなく・・・。
これは考え方の問題なのですが、
目標の中には夢があってもいいんじゃないか、たとえ超えられなくとも高い目標を掲げて、
もしそれが達成できた時、喜びも倍加するんじゃないかと思うんです。
こんな話が出来るのも皆さんのレベルが上がったからなんです。
ありがとうございます。





・55期の業績と今後

今年ベルクスの55期決算では、4期連続のマイナス成長となりました。
4年前の売上からは25%減となってしまいました。
何とか当期利益は前年並みとなりましたが、その半分は特別利益として計上した補助金と配当収入によるものです。
更に残りの半分もリース料や減価償却費の減少によるところが大きく中身はあまりないと私は考えています。
 わかり易く言えば、そうした利益の総額は皆さんが手にした冬の賞与1回分の総額とほぼ同じなのです。
皆さんはどう思いますか?儲かったと思いますか?私はそうは思いません。
皆さんに今回の冬の賞与を2倍にしたら、間違いなく会社は赤字になってしまいます。
だからと言って悲観する必要はありません。何はともあれそのような状況の中で利益は出したのです。
勝負は今期、今期こそプラス成長に向けて仕込みを掛けています
そのために第5工場も11月末に完成しました。
新しい最新鋭の設備も設置しました。
あとはやるだけです。

 今期に入って4か月になりますが、前年対比10%のプラスとなっていて計画に対しては2%程足りませんが、間違いなく5年目にしてプラス成長に転じています。
年末年始の休暇に英気を養って、来年また頑張りましょう。
肩の力を抜いて自然体でいいんです。結果は後からついて来ます。
今年の後半は特に新工場の工事に伴い皆さんの協力と、工場レイアウトの変更や、設備導入に伴い、休日を返上して対応してくれた各担当者の皆さんにもこの場を借りて感謝いたします。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。





・3年ぶりの終礼と加藤会計

 さて、話は変わりますが、こうして私が終礼という形で皆さんの前で話をするのは3年振りですね。
年1回の創立記念の話はしていますが、私の話なんか年1回聞けば充分だと思っている人もいるかもしれません。
それより去年、おととしと加藤会計事務所の所長である、加藤正智先生にお願いして、大日本報徳社の理事であり、講師の資格もあるのだから是非にと頼んで、二宮尊徳の報徳思想について講演をしていただきました。
2回に分けた講演は初心者向けと管理・監督者向けのお話でしたね。
私も皆さんと一緒に勉強させてもらいました。
 
 実は今年もお願いしようと思っていたのですが、正智先生が言うには、今度は同じ会計事務所で働く税理士央斉先生に頼んでくださいと言うんです。
央斉先生は所長のお兄さんにあたり私たちの会社の顧問税理士を長年担当しています。
早速お願いをしてみたのですが、何を話せば良いのかわからないと言うので、「央斉先生は慶応の出身なのだから、慶応大学の創始者であり皆さんも良く知っている、1万円札の肖像にもなっている福沢諭吉について話してください。」と言ったのですが、有名な福沢諭吉の書いた「学問のすゝめ」も読んだことがないと言うんです。
 私は早速本を買って読むようにすすめました。この本は発行当時、日本国民の人口の1割の人が読んだと言われる超ベストセラーなんです。
諭吉は今の大分県の中津藩の藩士の子として生まれたのですが、幕末から明治にかけて、教育者として思想家として活躍した近代日本の創始者の1人でもありました。
脱亜入欧論などの本も私は好きです。そんな訳で央斉先生が辞退されたので又私の出番となったわけです。





・奈良のシカは伍洒会の合意~「しか人間になるな」とは

 11月のある日、私のいない時に央斉先生が置いていったビジネスワンポイントニュースというのが毎月あるのですが、それが私の机の上に置かれていました。
それに書いてある言葉が私の目にとまり、何だこれはと思いましたが、良く読んでみると、その通りだなと納得したのです。
その言葉とは簡単な言葉なんです。

   「“しか人間”になるな!」

と書いてあるんです。

そして「私しかできない」「これしかやらない」と仕事を囲い込む「しか人間」になってないか、仕事は「誰でもできる」「新人でもやれる」まで熟してこそ、君が活き、会社も強くなる。と書いてあります。

 私は前にも何度かお話している言葉がありますね。
「会社は奈良のシカにならねばならない」
この言葉は伍洒会で話題になったのですが、その意味は皆さんご承知の通り、私たち製造業としてお客様からの仕事に対して難しい仕事の依頼があった時に、あれは出来ない、これは出来ない等と言っていたら仕事はなくなってしまいます。
難しい仕事に挑戦し、技術力を高め、「この仕事はベルクスならできる。ベルクスしかできない。」と、お客様から信頼される会社にならなくてはならない。
 そして伍洒会のメンバー会社すべてがそれぞれの分野でそのように言われるようになりましょう。と申し合わせたのです。
「会社は奈良のシカにならねばならない」
これは伍洒会で合意した言葉となりました。
 それなのに、加藤会計の央斉先生が置いて行ったビジネスワンポイントニュースに書いてある言葉が、「“しか人間”になるな!」と大きな活字で出ていましたので、何だこれはとなった訳です。
しかし目的は同じなんです。
私たちは強い会社になるためには「奈良のシカ」を目標にしています。
 具体的には各部署毎の業務実施計画の中に入っています。
それが後継者の育成であり、人財教育、ローテーション、多能工化等、考えて見れば「しか人間」を作らないための計画を着々と進めているのです。
「“しか人間”になるな!」
を実践しているのです。
まだ道半ばですが早くしろとハッパを掛けてもらったような気がします。
さすがは加藤会計、無言の励ましをしてくれたのだと思います。これからはみんなで心を合わせて「しか人間」をなくして強い会社「奈良のシカ会社」になりましょう。





・映画~海賊とよばれた男~ 大家族主義とは

 今私達の会社の社員の人数は100名を超えています。
縁あって入社された、私達の仲間にいらない人は1人もいません。
みんななくてはならない人ばかりです。

 先日久し振りに映画「海賊とよばれた男」のロードショーを観てきました。
これは、百田尚樹の書いた同名の小説の映画化したものです。
 主人公は別名で登場しますが実在の人物です。
出光興産の創業者で昭和56年に95才で亡くなった出光佐三の伝記物語なんです。
創業は明治44年、25歳で独立しました。
 当時は石炭がエネルギーの主力でしたが、将来は石油の時代が来ると予測、機械油の販売からスタートして現在の石油元売会社出光興産を築きました。
戦前から海外で特にアジア各地に支店を設け、原油の精製販売を手掛けた民族資本の大手として活躍しましたが、日本の敗戦によりすべてを失いました。
しかし戦後の焼け野原から再び立ち上がり、仕事もない中1,000人の社員の一人もリストラすることなく、日本人としての誇りを持って建設にかかれと指示しました。
それは生活のためばかりではありません。石油というエネルギーが無くては、日本の復興はあり得ない。と言う信念からの号令でした。
金儲けばかりではなく、世のため、人のため、国のためだったと思います。社員共々大変な苦労をしました。
特にイランのアバダンからの石油の直接輸入は社運を懸けた命懸けの事業でした。
 昭和28年の日章丸事件は、日本人をどれだけ勇気づけたか知れません。
そして出光の経営の哲学は大家族主義なんです。社員は全員家族なんです。
家族であれば中には役に立たない奴も、遊んでばかりいる奴も、生まれながらの知恵おくれの子も、悪い事をする奴もいます。
だからといって捨てる訳にはいきません。
愛情を持って指導育成をするのです。
出光の社員はそれに確り答えているのだと思います。
創業から100年以上たっても立派な業績を上げています。
つい最近まで個人企業のままでした。株式上場したのは今から10年前なんです。
創業者出光佐三が亡くなって10数年もたってからです。
しかしその社風は今も生きていると思います。そうして出光の経営哲学は今後も引き継がれて行くことでしょう。

 私達の会社も企業規模は小さいけれど家族的な経営の同族企業です。
映画「海賊とよばれた男」を見て学ぶべき所がたくさんあるように思います。
主人公の国岡(出光佐三)が何故海賊と言われたのか皆さんも興味が湧くでしょう。
年末年始の休みを使って観てきたらどうでしょう。

 私の話はこれで終わりにしますが、今日私が終礼という形で話した事を確りと心に刻んで新年の仕事始めには明るい皆さんのやる気に満ちた笑顔に出会いたいと思いますのでよろしくお願いします。

 今年平成28年を皆さんと共に無事乗り越える事が出来ました。
お客様を始め多くの関係する人に感謝します。
ありがとうございました。



2016年12月30日