皆さん、おはようございます。
今日は59周年の創立記念朝礼です。
創立記念の日は8月1日ですので、今日は8月5日ですからもう60周年目に入っています。
目次
◇新元号『令和』に!天皇陛下と元号とともに歩んだ日本の歴史
今年は平成31年4月30日で平成の時代は終わり、5月1日をもって新元号「令和」となりました。
平成の天皇陛下が譲位され、皇太子殿下が新天皇となり、248回を数える改元とともに第126代天皇が誕生しました。
この日本の歴史は西暦でいえば紀元前660年、初代神武天皇の即位から始まります。
日本の国が天皇とともに歩んだ歴史は2,679年となり、世界で最も長い歴史を持った国柄なのです。
神武天皇が即位した日は2月11日、昭和20年までは紀元節といって祭日でしたが、今は建国記念の日として祝日となっています。
元号が初めて用いられたのは、今から1,374年前の第36代孝徳天皇の時代で「大化」からです。
大化の改新という言葉がありますが、公地公民制等色々な改革を行いました。
地方の豪族政治から天皇中心の政治へと向かいます。
そしてそのわずか17年後に日本の歴史上初めての対外戦争が起こります。
朝鮮半島は3つの国に分かれていました。高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)、百済(くだら)です。
この時代、日本の大和王朝と百済は提携関係にありました。
今でいうと同盟のようなものです。
新羅は支那の唐と組んで、唐、新羅連合軍で百済を攻めます。
百済は大和王朝に助けを求めます。日本の大和王朝は朝鮮南部にあった百済を助けるため、3万の兵を送り戦いますが敗けてしまいます。
この戦争を「白村江(訓読み:しらすきのえ、音読み:はくそんこう)」の戦いといいます。
そうして百済は滅亡します。
その後、外国との戦争は鎌倉時代に「文永の役」「弘安の役」が起こります。
元寇、蒙古襲来です。
元(げん)という国は、モンゴル大帝国といって、人類の歴史上最大の国で、今の中国(チャイナ)はもちろん、ユーラシア大陸のロシアやヨーロッパにまで版図を広げた大帝国です。
ジンギスカンから5代目にあたる、フビライが元の初代皇帝となりました。
そして海を渡って10万という大軍で日本の国へ攻めてきました。鎌倉幕府はこれを迎え討ち勇敢に戦いましたが、2度共暴風雨に助けられて、国を守ることができました。
朝廷は異国降伏の祈願を自らも祈ると共に全国の寺々に命じました。
この時の天皇は第91代後宇多(ごうだ)天皇で、文永、弘安は元号です。
白村江で敗けた大和朝廷は、国を守るため今の九州福岡の地に大宰府※1を置き、防人(軍人)を配置します。
その時の長官が、万葉集の編纂者といわれる歌人の大伴家持(おおとものやかもち)のお父さんの旅人(たびと)です。
大伴旅人は自邸へ山上憶良(やまのうえのおくら)以下30余名の部下を集め、梅花の宴を開き、大和歌で梅を詠おうという趣向です。
何とも優雅な世界ですね。
白村江で戦いに敗れた7年後の正月のことです。
遠く都を離れた九州の地で大宰府長官の大伴旅人を中心として、このような上質な雅が行われていたのです。
この時の宴席で32首の歌が詠まれ、序文に “初春の令月にして 気淑く風和らぐ 梅は鏡前の粉を披く 蘭は珮後の香を薫らす”から令和という年号が生まれました。
年号の中で初めて、国書万葉集から選ばれた新元号令和は大変素晴らしい元号だと思います。
美しい心で襟を正し(令)、皆で協力して(和)平和で豊かな新しい時代を築いて行こうという志が感じられます。
文字のなかった時代にも美しい大和言葉があって、言霊として伝承してきましたが、漢字文化が入ってきますと音読みの漢字を訓読みの大和言葉に当て字として使い、今の私達にとって難しい万葉仮名が生まれます。
感性の高い表現力豊かな大和言葉は、全部訓読みで成り立っています。
日本人の心に沁み込む音楽のようです。
ですから、文字のない時代でも誤りなく色々な事柄が正しく伝承されたのだろうと思います。
そうして漢字を改良したり、平仮名、片仮名を発明したりしながら今日の日本語が完成しました。
私がいつも感心するのは、私達の会社では年に2回安全標語と品質標語を募集しますが、全社員が応募してその内容が大変素晴らしいのです。
ある時、社外の人に一次審査の資料を見せたら、「これ貰っていいですか」と言われました。
私は駄目ですと断りましたが、審査に苦労するほど皆さん上手なんです。
万葉集に代表される和歌や短歌、そして俳句の心は時代を超えて私達日本人の遺伝子の中で生きているんだと感じます。
◇平成の時代 30年を振り返って
平成30年12月の天皇誕生日にあたり、平成※2の天皇陛下がお言葉を述べられました。
その中で「平成が戦争のない時代として終ろうとしていることに心から安堵しています。」とのお言葉がありました。
確かに平和と国民の幸せを祈り続けた天皇のお言葉には共感を覚えます。
近代国家として誕生した明治には日清、日露の戦争、大正時代には第一次世界大戦、昭和には第二次世界大戦と戦争のないのは平成の時代だけでした。
令和という新しい時代に入り私達の会社も来年は創立60周年を迎えようとしています。
還暦です。
会社の歴史の半分は平成と共にありました。
昭和から平成へと改元された30年前の頃の出来事と今日とを比較しながら、反省も含めて振り返ってみたいと思います。
・失われた30年… 30周年記念事業「株式会社ベルクス」の誕生
平成元年には、ベルリンの壁が壊され東西ドイツが統一に向かいます。
チャイナでは天安門事件が起こります。
民主化に向けたデモに対して軍が銃を発砲、戦車まで出て弾圧します。
死者は3,000人以上ともいわれますが、事実は隠され、未だに解りません。
世界中の非難が起こり制裁されますが、お人好しの日本が経済援助等で助けます。
そしてソビエト連邦の解体とロシアの誕生です。
日本ではバブル経済の崩壊から今日までの失われた30年が始まります。
平成2年に30周年を迎えた私達の会社は、CI※3といわれる企業イメージ戦略を記念事業として取り入れ、社名変更も行いました。
会社設立時につけた社名は片仮名で“トキワ工業”でした。
それは会社の存続と繁栄を願って冬でも緑の葉をつけている常緑樹のことを、ときわ木といいます。
漢字で常緑と書きますが、字画が多いので片仮名のトキワとしました。当時は伝票も手書きでしたので、片仮名にしたのです。
社名変更にあたっては、CIの会社の提案の中でドイツ語のWELT(世界、宇宙)と無限の可能性を表す「X」を組み合わせた造語でベルクス(WELX)となります。
旧社名からの連続性もあり、「株式会社ベルクス」新社名の誕生となりました。
ユニフォームも赤・青・黄色から選べる斬新なものとなりましたが、今はメーカーの生産中止となり変化しましたが、今でも私は気に入って当時のものを着用しています。
初めは日本製でしたが、その後グローバリズムの波で海外生産となり、チャイナ、コリア、インドネシア、ベトナム等で作り、安いだけであまり良いものではありません。
何とかしたいものです。
そして、完全週休2日制の導入で、年間20日稼働日を減らして現在の月平均21.6日となりました。
令和の時代となり今後は更に年間約7日稼働日を減らし、月平均稼働日を21.0日とする計画もありますので、生産性を落とさずに達成できる様、協力をお願いします。
安全衛生委員会活動も毎月開催し、先月7月で364回となりました。
安全な職場と環境改善に大きく貢献しています。
これも30年前から今日まで続く、私達の会社の伝統なのです。
継続は力なりといいます。
しかしながら、連続無休災害120万時間の達成も間近にして、残念なことに、7/31に1件発生してしまいました。
原因と対策は当然のことですが、油断は大敵です。
昔からケガと弁当は自分持ちと言いますが、怪我の痛みは替わってあげることはできません。
何が起こるか分からない中で、危険予知に甘さがあったことに反省すると同時に、気を引き締めて安全第一で仕事に取り組んでください。
通勤災害も含めたこの目標は、よく管理された大企業でも、100万時間達成はなかなか出来るものではありません。
更なる挑戦です。
・経済力… 世界と日本の差とは?
次の話に移ります。
平成元年に導入された消費税も今年10月には10%になります。
増税の目的を見失うことのないようにしてほしいと思います。
又、平成2年には湾岸戦争が起こります。
イラクのクエート侵攻です。
国連決議により、多国籍軍がイラク軍への攻撃を開始して1ヶ月程でクエートを解放します。
日本も多国籍軍への国際貢献を迫られますが、憲法上の理由で自衛隊派遣を拒否する一方、総額130憶ドルという莫大な戦費を支援しますが、感謝もされず非難される始末でした。
理由は何であれ金で物事を処理しようということが非難されたのです。
この費用は、税金として特別徴収されます。
そして東西冷戦も終結へと向かいますが、今日新たに米中経済戦争が始まりました。
思えば30年前の天安門事件の頃、人民服に自転車のチャイナにまさか日本が経済力で追い抜かれるとは思いもよりませんでした。
平成時代の日本は経済戦争では敗戦国です。
昭和時代に築いたGDP世界第2位の経済力も失速して今やチャイナに大きく差をつけられて第3位となってしまいました。
なりふり構わず、ルール無視の覇権国家チャイナはこのまま次の30年を待たずして、アメリカさえも抜こうとしています。
そうはさせないとばかりアメリカは立ち上がり、アメリカファーストのトランプ大統領との経済戦争は、日本をはじめ世界の経済に大きな影響を及ぼすことになると思います。
この6月28、29日に大阪で開かれたG20首脳会議では議長国として安倍首相がリーダーシップを発揮しました。
その際に新聞に発表された世界の主要国のGDP※4データと私の手元にある25年程前のデータと比較してみました。
経済発展のベスト1位は、チャイナの13.5倍(12.2兆ドル)、第2位はインドの7.3倍(2.6兆ドル)、第3位はサウジアラビアとなっています。
ワースト1位は日本の1.2倍(5兆ドル)、2位はドイツの1.56倍(3.7兆ドル)、3位はイタリア、フランスの1.7倍、平均では3.8倍となっています。
日本は最低の1.2倍でした。GDP世界第1位のアメリカは2.6倍(19.4兆ドル)です。
日本も世界平均の経済成長をしていたら、チャイナに抜かれることはなかったのです。
ここ数年、アベノミクスで頑張ってはみたのですが、力及ばず経済成長では最下位となってしまいました。
何故なんでしょう。
大阪サミットに参加した主要国と地域の合計のGDPは、世界全体の8割を超えています。
その中でも、G7※5といわれる先進7ヶ国の中で日本の生産性は最低のレベルだといわれています。
経済力だけがすべてではありませんが、国力を表す一番大事な指標に違いありません。それが何故こうまで悲惨な結果を招いてしまったのでしょう。
世界中の国のほとんどが血眼になって、自国第一と国益のために他国を押しのけてまで競い合っている中で、日本だけが少しばかり豊かになった事に満足して、のほほんとしているからではないでしょうか。
日本国憲法前文にはこんなことが書かれています。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。
どこを見渡してもそのような信頼に足る国はありません。
理想はいいのですが、現実とのギャップを見ようとしないで子供騙しのような文句を並べた憲法をうのみにしている私達に責任があります。
私達の国は自由度においては、世界トップレベルにあります。
のほほんとしているのも自由なんですが、それではいつかはキリギリス、勝手気ままにその日暮らしをしていると、破滅という責任を負わされてしまいます。
自由と責任は表裏一体で紙の裏表なのです。
同じように権利と義務も表裏一体、権利ばかり追いかけて、義務を全うしないようでは権利を主張することはできません。
これは自然の摂理といえるのではないのでしょうか。経済戦争においての敗戦の原因について、私なりの考えを話しましたがどうでしょうか。
こうなったのは、私達日本人の責任です。
来年、東京で開催されるオリンピックでメダルを取ることも大事でしょうが、周回遅れとなった経済力をいかに立て直すかの方が、より大事なことです。
令和の時代に相応しい態度で挽回を計りたいものです。
グローバルな情報社会となり、世の中の出来事は他人事ではありません。
私達の生活に直結しています。
今日の話は時代の節目にあたって、30年前の平成となった頃の出来事と、令和となった今日の現状を比較しながら反省も含めてお話しました。
まだまだお話することもあるのですが、長くなるのでこの辺でやめます。
◇会社の近況
私達の会社は、今期58期から来期59期にかけて大きな設備投資を行なっています。
相良工場の建設です。
本社から東へ2㎞程の敷地7,700㎡に第1期工事として、第4工場と同じ1,000㎡の建屋となります。
完成は今年12月の予定です。
将来を考えた先行投資でもあります。
目的は第1工場の老朽化対策と職場環境の改善にあります。
BS・ETさんからの400tトランスファープレスの払い下げの話もありまして、それを受け入れるためにも年内完成を目標としています。
第1期工事が完成しても、建屋の半分は大型の400tプレスで埋まってしまいます。
第1工場からの設備移転は、300tと250tの2台のトランスファープレスと、その関連設備のみであり、第1工場の全面移転は第2期工事を待たねばなりません。
まずは、この相良工場の稼働を成功させて、第2期工事へと進めて行くことになります。そのための戦力として、大型の400tプレスが新規受注によって、業績向上につながるよう営業力を発揮すると同時に全社員の協力をお願いします。
今日は創立59周年にあたって色々な話をさせてもらいました。
特に平成から令和へと時代が移りかわった今日、歴史を中心において話をすることになりました。
平成生まれの社員も多くなりました。
若い力を発揮して共々に日本人として誇りを持って、新たな歴史を作っていきたいと思います。
暑い夏ですが、体調に気をつけて元気よく頑張りましょう。
今日という日を迎えたことに感謝しつつ、私の話を終わります。
ありがとうございました。
【注釈】
※1 大宰府 外交と防衛を主任務とすると共に、西海道9国(筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅)と三島(壱岐、対馬、多禰(現在の大隅諸島。824年に大隅に編入))については、掾(じょう)以下の人事や四度使の監査などの行政・司法を所管した。与えられた権限の大きさから、「遠の朝廷(とおのみかど)」とも呼ばれる。(インターネットの百科事典ウィキペディアより抜粋 2019.8)
※2 平成「内外、天地とも平和が達成される」の意味。出典『史記』内平かに外成る、『書経』地平らかに天成る(新元号発表時、小渕内閣官房長官が述べられた)
※3 CI コーポレート・アイデンティティ(英: corporate identity 略称: CI)は、企業文化を構築し特性や独自性を統一されたイメージやデザイン、またわかりやすいメッセージで発信し社会と共有することで存在価値を高めていく企業戦略のひとつ。CI、CI
計画、CI プロジェクトなどとも呼ばれる。 (インターネットの百科事典ウィキペディアより抜粋 2019.8)
※4 GDP 国内総生産。国内で新しく生産された商品やサービスの付加価値の総計。一国の国内の経済活動の規模や動向を総合的に示す指標として用いられ、GDPの伸び率がいわゆる経済成長率に値する。(ASCll・jpデジタル用語辞典より抜粋
2019.8)
※5 G7 (Group of Seven) 主要7か国財務相・中央銀行総裁会議。米国・英国・フランス・ドイツ・日本・イタリア・カナダの財務大臣と中央銀行総裁とが集まって国際金融の安定化などについて話し合う会議。年3回開催される。(デジタル大辞泉より抜粋
2019.8)