平成21年8月 創立記念朝礼

創立記念朝礼
平成21年8月3日(月) 於:大会議室



8月は創立記念の月ですので、今月の全体朝礼は私が担当する事になります。


当社は昭和35年の創業以来、満49年経ちました。
会社設立以来現在48期が8月に決算を迎えます。
そして来年の8月には50周年。
1年後の50周年の大きな節目を、目出度く祝うことが出来るか
どうかの大きな試練の時に現在立っています。

 世界経済とベルクスの現状、これ程のダメージとは・・・

今日、昨年の9月に起ったアメリカ発のリーマンショック以来、
100年に1度と言われる世界同時不況、
かつてない程のダメージが世界中をおおっています。
世界一の自動車メーカーGMが破綻、ビッグスリーの中のクライスラーも破綻。
世界一を目指して今、正に名実共に世界一になるかと見られていたトヨタ自動車が、
去年の3月期の決算で2兆4000億円の経常利益を出しながら、
1年後の今年の決算では、大幅赤字5600億円、来年も8500億円と、
2期連続の赤字決算が見込まれています。

トヨタの去年の売上高が26兆円から、今年は対前年比25%減の20.5兆円、
来年は更に40%減の16.5兆円との予測を立てています。

私は去年の終礼の時、サブプライムローンの損害は比較的に少ない、
だから日本の経済は立ち直りが早いと思い、そういう話をしましたが、
どうもそうではないと最近実感しています。予測が甘かったと反省しています。

なぜなら、それは金融、証券業界の話で、
実体経済にこれ程のダメージを与えると思っていなかったからです。
最近やっと日本の経済も底を打ったとか、
明るい兆しが見えてきたとの政府見解が発表されていますが、まだ油断はできません。

先日も20年来続いている伍洒会(ごしゃかい・・プレス部品メーカー5社の集まりで、合わせて年商100億円以上の中堅中小企業)を7月7日(火)新横浜の工場見学と夕方からの懇親会を日帰りで開催し、情報交換をしてきました。
その中で、ベルクスが一番恵まれているという事が解りました。

5社中4社は、未だ売上が前年対比50%になるかならないかの所で低迷しています。ベルクスだけが60%台に戻している。
ですから各社とも賞与どころではないというのが実態でした。

ですからベルクスは昨年の三分の二の賞与を出したという話は出来ませんでした。
具体的な話では、夏の賞与は氷代として一律に5万円を給与にプラスして支給した。
その給与自体も、減額中との事、つまり給与カット、各社ともそんなところでした。
中にはウチはまだそれさえも決まっていない、との話しでした。

ベルクスだけが60%台に戻した訳は、
HVつまりハイブリッド用の部品受注があったからです。
他の4社にはそれがありません。その点は恵まれているのですが、話しの中で、
ベルクスさん気を付けなさい、もう一段の下げがある、今は政府の経済対策のひとつ、エコカー減税や補助金があるからであって、予算が切れたら、パッタリなどという事も考えられるという、指摘がありました。

今はメーカー自体が生き残りを掛けて必死なところで、もう一段の下げがあり、
これからはヘレンケラーの三重苦の時代である。
ご存じの通りヘレンケラーは、目が見えない、耳が聞こえない、
口がきけないの三重苦を背負って生きた人です。

我々製造業の三重苦とは、内製化、現調化、コストダウンである。

受注減の中で半数の企業が淘汰され、
その上で戻っても70%が上限と見た上で物事を考えた方が良い、
というのが大方の結論でした。大変厳しい意見ですが、
最も厳しい最悪の場合を想定し、対処を考えておく事も必要ですし、
そこまでいかないで済めば結構なことではありませんか。
逆に楽観しつつ最悪を迎えたら不幸です。

何が起こるか分からない時代だからこそ、
様々なシナリオを想定し冷静に対処しなければならないということです。

5社中、2社がワークシェアリング、3社がリストラ、つまりメインは人員削減です。30%から40%の人員削減で生き残りをかけて闘っています。
私達の会社とN社がワークシェアリングです。
N社は、今でも週3日稼働のカレンダーのままです。
私達の会社は8月となって、月一日の休業日という事で、
操業短縮も、来月には解除する事になりました。
オークの8月は毎週金曜日の操短でしたが、これも解除となります。

ワークシェアリングと云っても、いつまでも雇用保険は使えません。
目一杯使った上で、定年退職後の準社員である方々には、
話し合いの上で退職してもらう事になりました。人材派遣の方々も同様です。
再び採用が必要となった時には、優先して会社に復帰してもらうことを条件に!
すでに復帰した人もいますが、まだ10名以上がそのままとなっています。

新聞等によりますと、失業率は5%から6%、
企業内失業者は7月の時点で全国で600万人を超えているという事です。

会社に残った人も給与の減額や休業補償のため、
休業日には雇用保険の範囲内での減額をされ、更には残業もほとんどありませんから、給与の目減り分は20%を超えているのが現実ではないかと思います。

給与面以外でも、経費削減のための対策を10項目以上見直しを行いました。
結果、今期の業績悪化に伴う「緊急経営見直し」の削減効果金額は、
8月末までの試算では、1億円を優に超える計算です。

そこまでやっても、5月決算のオークが赤字1000万円、
ベルクスでは5月末の試算で累積赤字が約1億円近くもあります。
赤字の半分は、自助努力で補ったことになりますが、
今期の月次決算では期首の9月が黒字だっただけで、
10月以降は赤字続きで8ヵ月連続赤字となり、
最悪は2月の2000万円を超える月次赤を記録しました、

先月の社長朝礼では、1勝8敗と表現しましたが、
正にこのような状態を云ったものです。
2月、3月は月曜日まで操短となり(週に3日稼働)、
月曜日、金曜日の工場を見廻ってみると、通常なら活気に満ちた現場が暗く、
森閑としています。私はしみじみと、その異様な光景に立ち、
過去には体験しなかったものを感じました。

最悪の状態の一例として記憶に留め、
これを節目として又、強くならなければと思ったのです。

社員の皆さんにも苦労をかけていますが、文句を言う人は誰もいません。
内心は言いたいのですが、皆我慢してくれているのだと思います。
仕方がないとあきられているのかもしれませんが、
今に見ていろ!という気持ちで頑張って下さい。

幸いなことに6月より回復する傾向にあります。
6月の月次決算では、ようやく黒字となりました。
しかし緊急対策中の黒字は本物の黒字ではありません。
7月も黒字、8月は赤の見込みです。

1年12ヵ月闘って、3勝9敗の負け越しは決定的です。
来期こそ、本物の黒字決算となるようにしたいものです。


 昭和49年石油ショックで初めての赤字、その時・・・

振り返って見れば、この創業以来49年の中で、
赤字決算は、石油ショック後の昭和49年8月期と今期、
2回目の赤字決算となります。
当時とは事業規模も大きくなったので赤字額も最大です。

石油ショック当時は社員数も東京大森の本社と静岡工場と合わせて、
現在の半数程度の5~60人でしたが、その半数近くが退社してゆきました。
その頃は、今のような雇用保険制度も無く、失業保険はありましたが、
会社に在籍したままの保険給付はありませんでした。

会社には余力もなく、銀行借入もままならず、資金繰りも大変でした。
仕事も半減し、品質要求も厳しくなり、今まで合格していたものも不良となり、
ダブルパンチです。

私はたまらず、社員を前にして云いました。

今後は不良率に応じて給与を下げる!!三度のメシを一度にしても、
歯を食いしばって不良率を下げる努力をする者だけ残れ!と云いました。
NOKさんの品質要求は、昔から厳しいので有名な会社でしたから、
抜き取り検査で不良品が見つかるまで、N増しして、ロットアウト、
前回納入した物まで持ち帰りは当たり前でしたから、納品したトラックに、
それ以上の製品を積んで帰ることもしばしばありました。

今では考えられない事ですが、当時は納入件数の5%はロットアウト、
NGが当たり前という状況でした。もちろん不良品をなくす努力は、
人一倍していた訳ですが、この時の不良率は30%を超える有様でした。

ですから、プロとしてお客様に満足してもらう製品を作って、
給料をもらっているのだから、30%の不良があったら、30%給料をカットする!
と言ったら、早い話が半分の社員が辞めてしまった訳なんです。

それは社員が悪い訳ではなく、大森時代から、
当時日本オイルシール工業という社名のNOKさんは、
評判の品質が厳しい会社だったのです。

昭和39年からのお取引ですが、
当初から、ウチの会社(トキワ工業)が、日本オイルシール工業さんとの
お取引をさせてもらう事になった時、まわりの中小企業の人達みんなが、
あそことの取引だけはやめておけ、品質要求が厳しくて、納品してもお金がもらえず、潰れた会社はたくさんあるぞ!と忠告されたものでした。

しかし私は、そのような会社との取引が成功すれば、自分たちの技術が上がって、
押しも押されもしない立派な会社になれると信じて疑わなかったのです。

その「やる気」を社員に求めたのです。

事実、私自身も30%を超える不良率には、さすがに参っていました。
受注半減の中での30%の不良です。、お客様を恨みました。
意地悪されているような気持にさえなりました。
しかし、残った社員と共に、それを見事に乗り切ったのです。

どうやって?

当時のことは、山下君も覚えていると思いますが、その頃の金型は単発型が主で、
今のようなダイセットもなく、絞り型の芯出しも、上型をボルトで取り付け、
下型の上に金バサミかシャーリングで切ったタンザク状の切り板を十文字に乗せて、
ストロークを下げ、金型の位置決めをして、下型をセットしていたのです。
ガイドポストなんかないので、加工中に金型がずれてしまう事もあったのです。

そのような状態で、ノーケンマカンを作れる訳がありません。
製品精度の要求品質は、外径寸法の上から下までレンヂで100分の5以内という物です。コストダウンのため、それまでは±0.1で外径をセンターレスケンマをしていたものをプレスで精度を出すのですから大変です。

さらには、巾切り、斜切りと云っていた、沢島さんや吉村さん(外製先)が巾寸法と面取り加工をしていた物も、その工程を無くすためにカールカンという部品も出てきました。当時、これが出来るところはトキワ工業(弊社旧社名)しかなかったのです。

さあ大変です。仕事は半分、社員も半分、不良は30%!。
いくら残業しても間に合いません。お客様を恨んでいるヒマはないのです。

そこで起死回生、工作機械の導入です。
生きるか死ぬかの真剣勝負です。金型の作り替え、精度UPと合理化です。

銀行は金を貸してくれません。
家屋敷を二番抵当に入れ、機械商社に長い手形を切って3台の工作機械と、
サーマルというメーカーの熱処理装置までセットで導入しました。
作るそばから金型部品の熱処理に必要なものでした。

それまでも工作機械はそこそこ持っていましたが、
精度が悪い所を腕でカバーしていたのです。

3台の工作機械とは、旋盤、フライス盤、平面研削盤のことです。
すべて新品です。失敗したら倒産です。
倒産すれば社員は路頭に迷い、私は家を取られ、橋の下で寝る外はありません。

勝算はもちろんありました。後はやるだけです。

作った金型代はもらえません。精度UPで不良を押さえ、
工程短縮、合理化で、加工賃を浮かして金型代に充て工作機械の借金に充てるのです。

死に物狂いですが、楽しかったことも事実です。
主に私と宮下の二人で、夜の更けるのも忘れて競争です。

金型図面などありません。給料もありません。あるのは食事と、
いくらかの小遣い銭だけです。
金型図面は私が大学ノートか方眼紙にフリーハンドで書いた鉛筆書きの図面です。

この時の競争で加工の早さで、私は宮下に負けました。
今の専務が技術で私を追い越した時だと思います。
弟子が師匠を追い越したのです。私は嬉しくて内心コロコロしていました。

ですが、私のすべてを追い越した訳ではありませんよ。
宮下が自信を持って、新たな技術に挑戦する力を持った時が、
この時だったのだと思います。もちろん金型いぢりは、
その前から大好きだったのも本当です。
仕事が好きでなければ何事も始まりません。

そのような時に強力な助っ人が現れました。
笹本です。実は笹本のためにも工作機械が足りなかったのです。
笹本は根っからの技術者です。工作機械は得意なんですが、
金型の部品を初めて作る際に、角には何でも糸面を取る習慣がついていて、
切り刃の部分にも面取りをしてしまう失敗もありましたが、
そこは御愛嬌で、すぐにクリアー、大きな戦力となりました。

しかし、すべてがうまくいった訳ではありません。

分割して振り出した工作機械の手形の期日に、
お金が足りなくて、決済が出来なくなってしまうこともありました。
そのまま放置しておくと、不渡り手形が発生し倒産します。

私は債権者である機械商社の社長のところへ行って、
手形のジャンプをひたすらお願いしました。
手形のジャンプとは、毎月決済するはずの約束手形の数か月分の手形を、
一番後ろに回して決済を猶予してもらう事です。

幸い先方は理解をしてくれました。決して一つ返事とはいかなかったことは勿論です。先ほどの話の二番抵当はこの時に差し入れたのです。

そんな苦労を何とか乗り切りながら、
ますますの技術志向の方針は、この時にしっかりと根付いたのです。

段々と景気も回復し、営業方針も、他社が嫌がる難しい仕事はできるだけ安く、
簡単な仕事は少し高めに見積書を書いて、
技術志向の選別受注へと少しずつ舵を切りながら、今日に到っています。


 今回の経済不況の方が深刻、だけど・・・

さて、創立49周年の時に、このような話をするのは何のためかというと、
今期は創業以来二度目の赤字、それも大巾赤字です。
むしろ石油ショックの時、今から35年前の時より、
今回の不況の方が大きく深刻な状況だと思います。

過去の不況の時、
どのように乗り切ってきたのか振り返ってみることも大切な事だと思うからです。
勿論不況は石油ショックだけではなく、その後も、ニクソンショック、
円高不況、バブル崩壊、IT不況と数々ありましたが、その都度乗り切ってきました。努力の結果赤字は出しませんでした。

しかし、今回は違います。いきなり受注が三分の一です。
石油ショックの時は半分でした。伍洒会の中では、最も悪い所が五分の一、
売上が8割減です。その他3社が四分の一、売上75%減で、
間もなく一年が経ちますが、やっと二分の一、
半分の50%へ戻してきたという状況です。('09.7月現在)

有難いことに35年前の石油ショックの時と違い、その後の私達の努力が認められ、
当時のトキワ工業より、今のベルクスは信用力がついて、
銀行も積極的に融資に応じてくれています。

大幅赤字の最中、社員には充分とはいかないまでも、精一杯の賞与を出したいと相談を持ちかけた所、存分に対応したいとの返事でした。有難い話しではありませんか。

私は冗談話で、借りたものは必ず返す。
私が返せなかったら、私には14人の孫がいる、そいつらにきっと返させるから、
金利はウンと安くしてもらいたいと言ったら大笑いでした。

冗談話はさておき・・。私達が何の努力もしないで、
足りなくなったら貸してくれでは銀行だってそっぽを向くでしょう。

良い時には良いように、悪い時には皆で苦労を分かち合う姿を見て、
信頼が生まれるのだと思います。今は苦労の割には実入りが少ないと思いますが、
我慢をして下さい。お金では買えないものがあるんです。
苦労話こそ、後で良い想い出となって残ります。

 「今に見ていろ!」の精神で・・・

これで創立49周年の月に当たり、私からの話は終わりにしますが、
今週はこの後午後になりますが、お客様がお見えになります。

NOKさんの東海事業場の方とそのお客様であるパナソニックの方々です。
7名のお客様と聞いていますが、かねがねNOKさんからの試作品は、
いくつかの部品をアッセンブリして納めていましたが、燃料電池の部品となります。

その量産に先立ち、まかせて安心できる会社かどうか、
打合わせも兼ねて来社されるそうです。

燃料電池と言えばこれからの製品、明るい話しではありませんか。

いつものことですが、会社に出入りする人はすべてお客様、
気持ち良くお帰りいただけるように、挨拶、身だしなみ、5S等、
全員営業という気持ちでお願いします。

先日も東京へ工作機械の中古を探しに行って来たのですが、
その会社は日立製作所の工場閉鎖に伴い、日立の技術者を10名程採用し、
技術面におけるサポート、管理体制を充実させて、展示機械も、
即運転可能な状態と定期的なメンテナンスを実施、
記録もキチンと見て分かるようになっています。

展示場も整然として、何より働く人がきびきびと礼儀正しく、
気持ちが良かったですね。この様な会社なら、
たとえ中古の工作機械でも安心だなと感じました。

工作機械も仕事がなくて、長い期間停止したままですと、作動不良の原因となります。我社でもすべての機械において、これからも欠かさずに定期的にメンテナンスと試運転は確実に実施していかなければなりません。

中古機械屋さんで、これ程しっかりした会社は初めてです。
私達も負けずに頑張りましょう。

この後、週末から9日間の長い夏休みに入りますが、その前に一仕事があります。
ISOの審査が待っています。品質及び環境の再認証審査です。
関係者は大変ご苦労ですが、見事一発合格となりますように頑張って下さい。

仕事もやり残すことの無いように、スッキリとした気持ちで夏休みに入れるようにお願いします。

最後になりますが、今月の30日には、いよいよ衆議院の解散総選挙があります。
棄権することなく、各政党、各議員の選挙公約をしっかり見た上で選びましょう。
公約には、きれい事、実現不可能なウソ矛盾がたくさん含まれています。
おとぎ話のバラマキ公約は、高利貸しから金を借りて子孫にツケを回すようなもの、
有権者はホタルではありません。「私達の生活」等というよりも、
私達の国の将来がかかっているのです。そのような目で見た上で、
私は投票をしたいと思います。皆さんもそのつもりでよろしくお願いします。

それでは皆さんと共に来年の50周年を明るい気持ちで迎えることができるよう、今に見ていろ!で、これからも更なる協力をお願いします。


2009年08月03日